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2011/12/27

記憶という儚いモノの中で、だからこそ。

Fi2350135_0eこんばんは。TSURUです。

旭川を離れて約1年半。
今日も、とても嬉しい事が有ったんで、この気持ちを忘れないように記しとこ。

旭川でお世話になっていた、とある医院の院長先生は、医院のホームページにリンクを貼ってブログを書いていらっしゃいます。
映画や本や観劇などのレビューとか、訪ずれた場所についてとか、色々ね。

そのブログは、その先生の穏やかで真摯な紳士の姿勢がダイレクトに感じれて、俺は大好きでさ、異動で函館に来た今でも、よく拝見してる訳です。
営業担当だった時は、そのブログの感想を先生に伝えたり、そこで紹介されてた本や映画を観賞して、それについてお話したりね。

スタッフさんも明るくて、院内の雰囲気がとても良くて、当然患者さんもいっぱいだった。
経営者である院長先生の人柄が、見事に反映されてる医院さんなんで、訪問して先生と話すのが楽しみだった訳っすよ。

函館に異動して来てから、1ヶ月ほど経ったある日、先生から‘離れても、メールやブログを通して、交流しましょう’という内容の手紙を頂いて、とても嬉しかった。
勿論、その手紙は今でも大事にとってある。

今日、その先生のブログを見たら、とある本を‘ようやく自分の座右の書といえるものに出会った気がする’って紹介されててさ。
最後に一言、「函館のTさん、是非読んで下さい。きっと生きる良い指針が得られます。」と、書かれていた。
この先生のブログに、それを読んでいる特定の人を意識した言葉が出てきたのは、初めてで。
おそらく、たぶん、この函館のTさんは俺の事だと思う。

自分が座右の書だと思える本(つまり、先生にとって大切なもの、誰かと共感したいと思われるもの)を、約1年半会っていない俺に、こういう形で紹介して貰った事が、マジで嬉しかった。

勿論、速攻でAmazonで注文して、お礼のメールを送りました。
この年末年始で読んで、改めて感想をお伝えしようと思ってマス。

最近、高校の同級生達と立て続けに、20年ぶりの再会をはたしてて、正月もその第3弾となる新年会があって、そこでもまた20年ぶりの再会をする面々がいるんだけど。

今まで2回、高校の同級生達と飲んでて、必ず思う事がある。
それは、自分自身に与えられた‘20年っていう時間についての感謝’だ。
同級生の中の一人には、卒業後1年程してから、病気で亡くなったヤツがいる。
良いヤツだった。
メチャクチャ仲が良かったって訳でも無いんだけど、面白くて気の良い好きなヤツだったから、亡くなるかも知れないとも知らずに、お見舞いにも行った。

今思えば、お見舞いに行って正解だった。 俺の為に、ね。
卒業後に倒れた彼との時間を、自分が少しでも共有しようとして(勿論、当時は、単純に入院したのを聞いてお見舞いに行っただけだった)行動したっていう記憶が、自分の中でハッキリと残ったから。
それは、自分が彼の為に行動した、紛れも無い事実の記憶なんだよね。
何を話したかなんてのは、覚えちゃいない。
でも、「あの時、彼と会って、時間を共有した」って事だけを、忘れなきゃ良いんだと思う。

急逝した彼は、残念な事だけど、同級生達と20年ぶりの酒を酌み交わしながら、空白の20年についてや過去の思い出を語らうっていう時間・機会を永遠に作れないんだよね。
当り前なんだけど。
そして、俺には、その時間が与えられ続けていたって事でもある。
彼の得れなかった20年を、俺は、どう使ったんだろう。
これからの時間を、どう使うんだろう。
誰の為に、使うんだろう。

でも、ありきたりな表現なんだけどさ、彼が亡くなって20年経っても、俺等は再会した時に彼を思いだして、みんなして口を揃えて「アイツは良いヤツだった。」って偲んでる。
間違いなく、彼についての記憶が残ってて、そういう形で彼は俺等の中に、刻まれてた。
それが、本当に、実感として感じれた。

たぶんそれは、(機械的な)メモリーとかの媒体じゃなくて、だんだんと薄れてあやふやになっていく儚い‘記憶’っていうものの中に残るもんだからこそ、「彼(の一部)は、俺等の中で生きている。」って言えるものであってね。
でまた、彼自身が、亡くなって20年近く経ってからも、俺等に彼の事を思い出させる生き方をしてたからこそ、なんだと思う。

俺は、たまにでも、誰かに良い思い出し方をされるような生き方をしてただろうか。
勿論、それを目的にして生きる訳じゃあない。
ただ、結果として、そう成り得るかどうかは、人としてとても大事なコトなんじゃないかって思うんだよね。上手く言えないけどさ。

俺は、最近(特に)そう感じてる。
旭川で異動の内示を貰ってから、‘生死’については別としても、‘記憶’については本当に意識するようになった。
何度も言うけど、誰かの中に良い記憶として残るのをメインの目的に据えて生きるのは、本末転倒だと思ってる。
ただ、そういう残り方が出来たかどうかは、結果としてある種の指標になるのかもしれない。
と、感じてるってことだよ。

さて、それで、だ。
だから、嬉しかったんだよね。
異動して、たかだか1年半。
でも、1年半でも、冒頭に書いた先生の記憶の中に、俺は少しだけでも残って居れた。
そして、自分にとって大事に感じた事を、分け与えようとして、普段しない特別な行動をしてくれた事に対してね。

営業マンとしてとかっていう前に、一人の人間として、とても嬉しい事だった。
来年も、生きよう。
もっともっと、(結果として)こういう気持ちになれるような、自分にとってHAPPYな選択をしていこう。
そしてそれは、自分にとって楽な選択をする事とは、言葉は似てるけど行動は真逆に近い位に違うものな筈だ。と、我想ふのでした。

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