我想う故に我在り

2013/10/31

メジャー感とマイナー感。

す~~~っかり、facebookがメインになり、ブログを放置気味なTSURUです。

さてさて、唐突ですが、もうちょっとで函館から札幌に転勤になります。
最近は、その準備でわらわら。


と、全然関係無いんだけど、facebookやってて思う事。

高校ん時の同級生たちと非常に懐かしい再会をとげ、
かつての友人→時間を超えて現在の友人になった訳です。

おかげさまで、よく一緒に酒を酌み交わし、
非常に感動的な懐かしさによる感慨と、
かつての友人達とのオトナになっての異業種コミュ二ケーションを楽しめている訳です。


当時もとても仲良かったヤツなんかは、今でもかなり、何て言うかラクです(笑)



でね。
う~~ん、何て言うか、自分はどっちかっていうと「メジャー」(←自分の表現ではなく、他の人による表現です)。
…つまり、望む望まないに関わらず、目立ちやすい存在だった訳ですな。
うん、ま、それは否定しません。

そんでね、問題は、
ご自身いわく「マイナー」とか「馴染んでなかった」っていう人の中の、
共通する要因を持っている事が推察される、
ある一部の人のfacebook上での(もしくは、そこから起因したメールやLINEでの)行動が、やっぱちょっと…かなりオカシイ。
っていうか、バカ。
つまり、迷惑野郎な場合がありますな。

…出たーーーー!!。
毒が(苦笑)


同級生同士だと共通の友人もかなり多くなるので、邪険にも出来ないし、「ちょっと迷惑…」とか言えないって性格の人も多いでしょ!?

で、やらかすヤツっていうのを、自分が見てて思うのは…

まずもって、今現在の実生活において、身近な人から尊敬されている気配が無い
夫婦関係が上手く行ってない。とか、職場で尊敬されて無いとか、ちゃんとした恋愛した事があまりないとか、ね)←随分、ざっくりだな^^;
これはね、何て言うか「その世代が背負う責任や尊敬の平均値」から「かけ離れている少なさ(との、その人の自己評価)」しか得られていないっていう意味ね。

過去にマイナーだった自分の処理が出来ていない
つまり、本当はメジャーな感じになってチヤホヤされたかったけど、当時は自分に自信が持てなったので、マイナーに甘んじていた…っていうタイプね。
大人になっていく過程で、その過去の自分に単純に蓋をして、目をそらすだけだった感。っていうのかな。

例えば、「オレはマイナーだったから…」って言うヤツでも、それを自分の個性として、大人になる過程でちゃんと処理出来ているヤツは、
逆に今、凄く仲良くなれてるし、変な迷惑行為もしないね^^

このふたつの条件に加えて、
 ①・②のタイプが、FBを始めて、急に(ネット上の)友達が出来、いきなり楽しくなった。
かつて、マイナー感満載だった自分に、皆、今仲良く接してくれてる…

っていう刺激が加わった時は、要注意ですな


40歳になって、人生で初めて調子コクっていうのは、非常に迷惑です。
加減の解らない不惑は、違う意味で惑いまくりでTHE 醜悪。

直接的な迷惑がオレにかからなくても、相談されたり取りまとめ的立場として処理したり、しなければならなかったりね。

基本的に、他者の人生(時間)に敬意を払わない表現は、ずっと封印して来ましたが。
「分を知る」ってのは、非常に大事だと思う。
それを自分に突き付ける…って事を全くしてこなかったオトナは、オトナではない。

それは、ツライし厳しい事だけどね。
人を羨んで、自分から目をそむけてきた人は、SNSをやって欲しくないっていうお話!


…愚痴っちゃった(笑)

2013/03/17

「反対の仕方」について、我思う。

http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=en&tl=ja&u=http%3A%2F%2Foceanstory.org%2Fnews%2Flive-animal-key-chains-china%2F
↑コレについて、思う事。

このお守りに、反対です。
ただし、以下の経緯を踏まえた上での、反対です。

呪術的な意味合いだったり、宗教的な意味合いだったりする分野の事って、
理屈ではないので、自分の考え(自分の育ってきた文化)と比べて残酷で、野蛮だと切って捨てるのは簡単だと思うんだよネ。

このお守りが、上記のものに当て嵌まるかどうかは、別としてだけどサ。

ただ、例えば、「外交」という言葉一つとって見ても、自分の文脈でしか考え・話そうとしない人が出した結論は、一体どこに向かうんだろう?
「許せない」「だから、この国は」「品が無い」「遠慮も無い」「ルールを守らない」「領土問題」…
そういう「大小の‘自分は、絶対に違う’という、中途半端な想像力しか使わない、自分の中の裁決」が、集まったり、何かの流れに乗って拡大したら、それはいったい、どこに向かうんだろう?

もう一度、言いますけど。
オレは、この‘開運のお守り’に反対です。
でも、知らず知らずのうちに、対立の構図の加担者になっておきながら、自分に都合のよい時だけ‘相互理解の姿勢’とか言うの、もっと嫌いです。

例えば、‘クジラを喰うのは、野蛮で下品な行為だ’って、他国の人に言われるの、オレは嫌いなんです。
食べる為の殺生と、このお守りの件は別でしょ!?って人もいるかもしれないけど、
冒頭に書いたように、呪術的なものや宗教的なこと、文化に関しては理屈ではないので、‘食べる事’と同じ位の重要さで「個人が生きる事」と安易に切り離せないものだと、個人的には思います。
更に、クジラの例だと…「じゃあ、クジラを食べざるを得ない程、日本は食資源に困窮してるのか?」という問いに、自分だったらなんと応えるか…
もし‘文化’という答えが浮かんだのならば、このお守りに対して相手が同じ答え方をしてきたなら!?
自分は良くても、相手はダメなのかな?

「もし、自分が違う国に生まれ育って、違う国で教育を受けて違う国の文化の中で生きていたら…」と考えた時、
「それでも絶対に、自分はコレに反対する」と言いきれるんだろうか!?
他の人は知りません。
オレに関しては、言いきれる自信がありません。
そういうものに対して、「反対」を唱える時、
大事なのは‘賛否’は勿論なのかもしれないが、それを‘どういうスタンス’で、‘自分の中のどのフィルターを使って’自分の外へ出すのかなのでは?と、個人的には信じています。

己の中のRock'n'Rollを信じつつ…TSURU。

※この投稿内容に関して、色々ご意見がおありかもしれませんが、どうか真意を汲み取って頂けるよう願っています。
自分と違う意見の人を攻撃・非難する意図で書いたものでは、ありません。

2012/06/26

「引き際」について

TSURUです。こんばんは。

実は、数年前から感じていたんだけどね…、「引き際(辞め時)」について。


これは、本当に具体例が基本になってる事なんだけどさ。

ごくたまに、営業車の中でラジオを流しながら運転する時がある。お昼時にね。
A6輔氏の某長寿番組がかかるんです(地域によって放送時間帯が違うかも知れないけど)。

もはや、何を喋っているか、ほぼ解りません。
確か数年前から歯の調子が悪く、みるみるうちに活舌が悪くなって来たようです。

好きな人はゴメンナサイ。
でも、これは「弱っている人にモノ申すのは、可哀想」とかいう次元の事では無い、と思います。
ましてや、まがりなりにも、ご自身の番組内であらゆる「モノ申す」をしていらっしゃられる方なのですから。

ここで怖いのは、「日々の変化自体は緩やかなので、毎日聴いている人には、前後の流れから内容も解りやすいし、なんとなく聴けてしまえている。」と、いう事だと思う。

しかし!久しぶりに聴いてみると、マジで何を言ってるか解らない。
長年一緒にやってきたアシスタント役の女性が通訳している状態です。

問題は、これが「ラジオ番組」である、という事。
TVと違って、映像が無い。テロップも無い。
(今は、視えるラジオもやってるよ。とかっていうクダラナイ揚足取りは無用ですよ。)
音声だけの発信で、毎日聴いている人にだけしか、`言葉を聞き取れない’放送を流して良いのか??って事です。

あくまでも、`今現在、聴き続けている人からの需要があるから’という、需要至上主義とは別の、作り手側の良識・プライドを問うています。
「言葉の判別の段階で困難な、完全に閉じられた番組」は、作り手のプライドによって‘聴き手を選ぶ’のとは違う次元で、図らずも聴き手を限定していて、正直、醜いです。
ましてや、その番組内で、あらゆる事にモノ申したりなされているのですから。

ご自身には、その‘何か’を適用されないのでしょうか?
生涯現役を掲げられるのは、現役としてのパフォーマンスが出来る人だからこそ可能なのであり、その時点の自分に相応しい媒体(場所)は、自分で考察されるべきだと思います。

引退を…と思っている訳ではありません。
単純に、‘日本語を話しているのに、(方言などでの要因ではなく)単純に何をしゃべっているか聴きとれない人が、全国区のラジオ番組で発信している事’に関して、異常だと思っているという事です。
需要やご本人の(ライフワークだからっていうような)理由では、それは免罪符にならない。
というのが、俺の感想です。

聴きとれない言葉しか喋れなくなっている程に歳をとっているのを感知出来ないのと、いつまでも若いつもりでいるという事は、全く違う事でしょ~よ、A6さん。って事です。

そして、この記事の内容自体を、俺も自分に適用しないと、この人と同じ腐臭を漂わせる事になってしまう。
引き際…について、でしたとさ。

2012/03/27

無知を知りなさい。

こんばんは。TSURUだ。…です。

2年に一度の診療報酬改定で、当社検査部門(の営業)は2年間の中で1番忙しく、またこの2年の仕事の成果が問われる時期な訳ですわ♪
ここ最近は3月の早めの段階で新診療報酬が発表されるんでね、比較的メドを立てながら仕事が出来てっけど^^

電子カルテ内に検査データを蓄積する…っていう連携のある当検査業界。
昨今の厚労省主導のレセプトの電子化、及び時代の当然の流れとして電子カルテ導入率は年々増加傾向ですのよ。
で、それに伴って、この時期の我々営業マンの仕事の内容も確実に変わって来ていて、例えば10年前とは全く違う種類の作業が多々ある。

それは、もう、「ちゃんと手を打たないといけないと思える程に」。

それとは関連が無い日常の営業でも、かつては使用されていなかったツールが使われるようになるつれて、
基本的な情報収集もユーザーさんのホームページを探した方が効率的だったり、
Dr.がHP上でブログを書かれている場合などは、意外にそういう部分に‘核’がある場合も多い。
実際、そこに反応するととても喜ばれて、「仕事以外の会話」の割合が良い意味で増える傾向にあってね、こちらもそのユーザーさんを訪問するのが楽しくなる。
な~んて事は、もう、俺の中では基本中の基本な訳よ。
もっと、基本的な事だとエクセルやワードのコマンドを(普通に)活かせるかどうか(それを知ろうとするかどうかで、‘より正確に、且つ、時間短縮’の効果)で、仕事に費やす時間は圧倒的に変わる。
例えば、、昔、会社に徹夜で泊まり込みでやった見積り作成作業が、コマンド知ってる今は1時間強で出来ちゃうんだぜぇ!?
そういうのを、知ろうとしないのは、もう単純に給料泥棒だと思うわ^^

で、俺自身は、上司・先輩・後輩の分け隔てなく、こういう具体的なコツをナレッジ・マネジメント(っていう程でも無いけど)出来たら良いな…と思うので、包み隠さず提供する訳だが、素直に試してみるのは、圧倒的に若い後輩です。

目上の人は、どんなに「TSURUには敵わない。」とか言う(勿論、嫌味で行ってるんじゃなく^^)人でも、
俺には全く理解できないんだけど、「そうやって認めている人間が実行していて、効果を上げている5~10分もあれば誰でも簡単に出来る事で、自分が実行していない事」を、真似しなかったりするのね。
そんな些細な事でさえも‘今までしていなかった、新しい事をする’のが面倒のように見えますな。観察してるとね。
「自分の身に降りかかる‘新規記憶’に関しては、急激に興味を失くす脳になってる」のね。
でも、その上司・先輩の行動を矯正しない種類の進言は、比較的素直に聞き入れて、それを「俺はしなくて良いけど、君たちはやりなさい」的に施行します。
が、本当は、その人間が率先してやるからこそ、プラスの螺旋の相乗効果が上がる…という事から本能的に目を背けている。


この辺に、クダラナイ、人としての驕りを感じます。とてつもなく。
どっかで、‘「自分より経験の無い人間から学ぶ」事に対する、圧倒的な心理的抵抗を感じている’のを感じます。(←解り難い??)

我社の管理職クラスは、もはや変遷に対応出来ていない。し、するつもりも無い。
そもそも、危機感が皆無だからだ。

俺なら、怖くて仕方が無いけどね。
「自分が培ってきた(と呼べるかも疑問だけど)唯一のやり方が、自分が40~50代になってきた時に、外に対しても、内の自分より目下の世代に対しても通じなくなっている」ってのは
ね。

実際、俺より立場が上の人間に「中小企業診断士」と言って、社内で理解された事は今まで一度も無い。(銀行のお偉いさん出身の社長は、間違いなく知っているでしょうけど)
俺より上の立場の人は、経営陣予備軍のハズなのに、経営の勉強をするつもりが無いっていう証拠でもあり、それは、‘その程度のスキルと危機感の人間が、これまでの実務の経験だけで、経営が出来ると思ってナメてる証’だし、そういう意識を持った部下が出現した時にそれを全く理解出来ないっていう事でもある。

それよりも‘移り変わりの中で、自分だけ例外化する’、つまり、‘危機を見なかった・認識しなかった事にする’という、これは人間の自己防衛本能のようなものが働いているんだろうけど。
働かせるのは、もっとプラスのエネルギーと頭にして下さいって話やね。

で、何が言いたいかと言うと…だからウチの会社はダメなんだっていうような、お子様な事じゃなくて。

怖いのは、自分が気付かずにそうなる事。なんだよね。
こうやって、今、こういう文章を書いている俺が、他の範囲でそうなっていないか、怖くてしょうがありません。
っていう、お話でしたとさ。

だから、自分より若い人に接する時は、常に「その年だった時の自分が、如何にちゃらんぽらんで視野が狭く、幼稚なストレートさを振り回していたか」を思い起こすようにしています。
大抵の場合は…皆、当時の俺より大人です。ちゃんとしてる(笑)

醜くはなりたくないもんです。絶対に。

牙を研ぎます。
もっと、自分が世の中に役に立てる…そうなる為に、ね。

2012/03/21

生きてこう!

Hi!こんばんは。TSURUです。

と、一瞬、英語チックに始まりましたが、別に。何も。

帰宅後は、例えば、30分さえ無駄に出来ない生活を日々しておりますゆえ、すっかりBLOGの更新頻度が減りましたが。
文章書くのは、結構時間がかかるのでね(笑)

先日は、某保険会社さん主催のキャリア・セミナーにご招待頂きまして、参加してまいりました♪

いや~、清々しいほどに‘やるべき事を、やってる(であろう)人達’は、違うね。やっぱ。
そこに漂う空気が、なんせ、澱んでないもの(笑)

うん。そ~ゆ~事ですよ。
そう、あるべきですよ。

その為には、変化や進化に対応して行かなければならない。し、
それを促す役割の人が「私は変わりたくないし、今さら努力もしたくないけど、あなた達はやりなさい!」っていう、クソみたいな、よくありがちなものとは正反対な種類のものな訳ですな。ははは。

基本的には、1営業マンが一人~二人程、引っ張って来てた感じで、参加者は15~20人。

なかなかに…いやいや、かなり刺激を受けましたわぃ。
そ~来なくっちゃね(←何が!?)って、感じ♪

(社内の)あまりの醜態に倦み始めていたところ、まさに望んでいたイベントでしたわ♪
そして、これを運んでくれたのも、やはり、人との出会いの積み重ねだったのですねぇ。

やはり、外に出るのは大事ですな。
意識を、外に目を向けさせる。

それは、自分の‘凡庸さ’を教えてくれ、口惜しさやヤル気を出させてくれ、推進力に変わる。
っていうか、そもそも、そういう物事を、推進力に変える事に挑戦して来なかった(もしくは、その意志を失った)人には、無理です。

ホントに、飛び込むのって楽しいわ♪

2012/03/12

後輩が仕事を楽しみ始めている♪

__はい、TSURUです。こんばんは。
ここ最近は、FBをツイッターとBLOGの中間的な役割で使ってて、そっちがメインになりつつあり(ツイッターは興味無いからした事ないけどね^^;)、すっかり更新頻度が落ちましたが。
生息してます。ちゃんと(笑)

今日は、後輩から、仕事上のちょっとした質問TELが。

いやいや、仕事をしっかり楽しみ始めてるようで、俺は嬉しいぞ^^

2人の後輩の、それぞれの個性と各顧客さんで学べる事(勿論、売上や施設規模も含め)を軸に、なるべく平等になるように、そして自分がいなくなった後の後輩達が自然と学べるように…ってのを考えて担当振り分けして来たつもりなんだけどさ。

良い意味で、ハマってるんじゃないの~~♪
何か、軍師的な快感じゃわいな。

何よりも、彼らが自信の光を放って輝いている感じが、マジで嬉しい。

後は、自分自身への被害が少ない時に‘過信’して間違って、痛い目にあって学んで下さいなって感じやね。
俺位の年になったら、そういう間違いは、‘間違いで済まされなくなる’からね。
早いうちに少し間違って、覚えるのが1番ですわ。

頑張れよ~~。楽しめよ~~。

と、俺も‘過信’しないように、今まで通り、未知の事にどんどん触れて行きますわいな。
FP然り、中小企業診断士然り、今の職業とは全く関係無いけど、自分が無知だと知るのは‘過信しない’為にも、とても重要なのです。


で、今週末は、先日生命保険を契約した際にお知り合いになれた、某保険会社の同世代の支部長さんのお誘いで、保険セミナーに行って参ります。

契約者であり、一応FP(ファイナンシャル・プランナー)であり、且つ、現在も経営コンサルのお勉強中だというオイラの現状と、
先方の‘人をある程度(数十人)集める必要がある’という事情とが、おそらくマッチしたのでしょう。

こういうお誘いを頂けるのも、本当にありがたい話。
今現在自分の属している分野とは、まったく違っている分野独自の厳しさや常識に触れれる良いチャンスだからね♪

って事で、オシャレなホテルで無料で食事を頂きながら、勉強して来ま~す。

そして!中小企業診断士の試験日程も発表になりました。
とにかく、牙を研ぎましょう。来る日に備えて、ね。

2012/02/28

自分を基準にしないでくれぃ

自分に出来ないからといって、同じ事を他人も出来ないだろうと思うのは、まったくもってナメたお話でR。

それって、‘出来ない事’に関しての原因の分析が「自分に至らない所があった(かもしれない)」っていう発想じゃ無くて、「(大した努力もしてないクセに)自分はやるだけやった。それでも通じない相手が悪い」になってるっていう動かぬ証拠だと思うわ。

again...自分に出来ないからといって、同じ事を他人も出来ないだろうと思うのは、クソみたいな思い上がりもイイところ

っていうか、それほど「自分の事をデキるヤツだと自認してるのか?」っていう認識力障害の問題が、そこには存在する。

腐ってるところほど、遭遇確率が高まるな。ビックリするほどにね(苦笑)

俺が目指してるのと違う意味で、世間を狭く使ってらっしゃってて、よくその狭さの中で呼吸が出来るもんだなぁと、ビックリするのだが。
が!そーゆーヤツぁ、その分、周囲を窒息させているから性質が悪いんだな、と。

一度大事な事から目を背けた人間は、そこに気付かないフリを演じて自分を守る為だけに、その後一生に渡って、ずっと目を背けた生き方を選択しなければならず・・・。
そーやって目を背ける範囲は、月日を経る毎に広がって行く。

そして、それにさえも気付かぬふりをしながら、周囲にマイナスのエネルギーを振舞って、ただただ迷惑な存在でその社会人人生にひっそりと幕を引き、朽ち果てて行く。

そーゆークソみたいな人間に、俺はなりたくない。死んでもね。

2012/01/30

やっぱ、出会いは面白い♪

先週土曜は、いつもお世話になってるN氏のお供で、初対面の少しだけお姉さま達と、お酒&食事→2次会(お酒&カラオケ)でした。

う~ん、やっぱ、人との出会いは楽しい。

よ~く思いだしてみたら、高校ん時や大学ん時、バンド時代なんかはさ、
友達の友達とか、更にそのまた友達とか、平気で遊んだり飲んだり。
ライブに来てくれた娘の家で、その友達とウチのメンバーと、ライブ打ち上げやって飲み直して風呂まで借りて雑魚寝して…とかさ。

今の会社に就職してからも、音楽スタジオのスタッフさんの紹介で、社会人バンドに飛び込んだりね。

いつの間にか、知らない間に人みしりするようになってたっていうか、仕事だけに没頭してたんだな~。
ま、それも、数年前までの事なんだけど。

ま、そんなこんなで、最近思うんだけど。
昔みたいに、初対面の人達との出会いを純粋に楽しめるモードが、増して来てるってお話ですよ。

2012/01/24

自分の無知を知り、自分の属す場所の狭さを知る楽しさ

日経新聞や関連書籍、中小企業白書、業種把握読本なんかの資格に関連する書籍は勿論、昔は大っ嫌いだった自己啓発的な雰囲気が漂う本(但し、この分野は厳選して)なんかを勉強の合間の休憩として読んでます。

もはや、休憩が休憩では無い。
人との交流も自分にとって、とてつもなく大事だしエネルギーになるし。
その休憩の更に休憩で、小説や映画、更には音楽聴いたりギター弾いたり、太極拳に行ったり、取得済みの資格FPの継続学習に行ったり、料理を楽しんだり、心と体に水を蒔くことをね。

とにかく、1日48時間と眠らなくても疲れない体が欲しい~~。

でも、めっちゃ、楽しい。

なんだろうね~。

もう腐るほど、このブログでも書いて来てるんだけさ…
‘自分は、コレが出来るんだ’って事は、自分を支える冷静且つ現実的な自信として機能する限りはとても重要だと思う。
が、その一方で、‘自分が知らない事や世界は、この広くて狭い世界で、あまりにも膨大だ’って事を認識したうえで、謙虚になる事も同量だけ必要なんだと思う。

だから、楽しいんだな。

ただし!
気をつけなきゃならんのは、新しい事を学び始めたり挑戦し始めた時に、その世界を知らない人や一向に踏み出さない人を、軽んじてしまう場合がある事だ。
いや、これは、俺がそうだって話じゃあ無くて、そういう人をよく見るってことなんだ。

勿論、俺だって、そーゆーモードに陥りそうになる時もある。
ただ、幸いな事に、俺は人との出会いに恵まれてるし、かつて才能主義者・差別主義者だっただけに、自分の能力を冷静に評価した場合、本当の意味で傲慢には慣りきらずに済んでるような気がしてる。ギリでね。←ギリでかよ(笑)

これは、怖いよ~。失敗するよ~~。

自分の無知を知って、より大きいフィールドに属す。
それは、俺の場合は、還元するためだ。
ただ、そういう、自分自信に対する経営理念がないまま、それなりの立場に立った人は、自分の無知に気付かないまま、‘知らない世界に入った雰囲気だけを味わって悦に浸る’傾向がある場合もある。

again...これは、本当に怖い事だよ~~。
経営学的用語としての「ドメイン」(事業領域)。
俺にとっての、現在のドメインは、実は経営を学ぶ事では無い。
何をするにも、まず、今、給料を貰っている仕事をしっかりこなす事こそが、今現在の自分のドメインをしっかり認識した行動になる。

全ては、その上で行動するからこそ!だからこそ、他の行動の全てが活きる!
基本が無いところには、どんな経験があろうとも、活かせないor活かせたとしても圧倒的に効率が悪いっていうシビアな分野が存在する。
当然だ。
人の人生を、背負っているのだから。

友よ。順番を間違えるなよ。

君のドメインはどこだ?
今、何を最優先しなければならない?

人との交流は、自分を磨く上で大事だ。そして、とてつもなく楽しい。
ただし、人と交流する際に共通となる‘言語’を獲得していないと、本当の意味で相手が言っている意味を理解出来ないまま、自分に都合の良いように解釈して勘違いしたまま進むことになる。

優先順位は、自分にとって都合のよい楽しさとは、全く別なものだ。と俺は思う。
だからこそ、それを乗り切る為に、自分があらゆる手段を使って楽しむことが重要になるんだろう。きっとね。

冒頭に戻ろう。
俺は、日経新聞や関連書籍、中小企業白書、業種把握読本なんかの資格に関連する書籍は勿論、昔は大っ嫌いだった自己啓発的な雰囲気が漂う本(但し、この分野は厳選して)なんかを勉強の合間の休憩として毎日、読んでます。
仕事から帰宅してから、もしくは仕事の待ち時間や、昼食の時にでさえ。
それ自体は、楽しく無い作業なんだ。
とてつもない集中力と意志の力を必要とする。
自分の時間の使い方をかなりシビアにしなきゃならない。
TV見る時だって、飯食ってる時以外は、全部録画してCMカットして時短してるしね。
そもそも、TV自体、あまり見ないしね。
ただ、自分が挑戦している事が、難しい事で、それと今の自分の差が圧倒的にあって、そのうえで努力してるって事自体が楽しい。
充実してる。

一つ一つをとったら、楽しさとは縁遠い地道な努力なんだ。
ただ、その作業や自分自身にバランスを取らせる行動なんかのトータルとして、日々が楽しいって事さね。

2011/12/27

記憶という儚いモノの中で、だからこそ。

Fi2350135_0eこんばんは。TSURUです。

旭川を離れて約1年半。
今日も、とても嬉しい事が有ったんで、この気持ちを忘れないように記しとこ。

旭川でお世話になっていた、とある医院の院長先生は、医院のホームページにリンクを貼ってブログを書いていらっしゃいます。
映画や本や観劇などのレビューとか、訪ずれた場所についてとか、色々ね。

そのブログは、その先生の穏やかで真摯な紳士の姿勢がダイレクトに感じれて、俺は大好きでさ、異動で函館に来た今でも、よく拝見してる訳です。
営業担当だった時は、そのブログの感想を先生に伝えたり、そこで紹介されてた本や映画を観賞して、それについてお話したりね。

スタッフさんも明るくて、院内の雰囲気がとても良くて、当然患者さんもいっぱいだった。
経営者である院長先生の人柄が、見事に反映されてる医院さんなんで、訪問して先生と話すのが楽しみだった訳っすよ。

函館に異動して来てから、1ヶ月ほど経ったある日、先生から‘離れても、メールやブログを通して、交流しましょう’という内容の手紙を頂いて、とても嬉しかった。
勿論、その手紙は今でも大事にとってある。

今日、その先生のブログを見たら、とある本を‘ようやく自分の座右の書といえるものに出会った気がする’って紹介されててさ。
最後に一言、「函館のTさん、是非読んで下さい。きっと生きる良い指針が得られます。」と、書かれていた。
この先生のブログに、それを読んでいる特定の人を意識した言葉が出てきたのは、初めてで。
おそらく、たぶん、この函館のTさんは俺の事だと思う。

自分が座右の書だと思える本(つまり、先生にとって大切なもの、誰かと共感したいと思われるもの)を、約1年半会っていない俺に、こういう形で紹介して貰った事が、マジで嬉しかった。

勿論、速攻でAmazonで注文して、お礼のメールを送りました。
この年末年始で読んで、改めて感想をお伝えしようと思ってマス。

最近、高校の同級生達と立て続けに、20年ぶりの再会をはたしてて、正月もその第3弾となる新年会があって、そこでもまた20年ぶりの再会をする面々がいるんだけど。

今まで2回、高校の同級生達と飲んでて、必ず思う事がある。
それは、自分自身に与えられた‘20年っていう時間についての感謝’だ。
同級生の中の一人には、卒業後1年程してから、病気で亡くなったヤツがいる。
良いヤツだった。
メチャクチャ仲が良かったって訳でも無いんだけど、面白くて気の良い好きなヤツだったから、亡くなるかも知れないとも知らずに、お見舞いにも行った。

今思えば、お見舞いに行って正解だった。 俺の為に、ね。
卒業後に倒れた彼との時間を、自分が少しでも共有しようとして(勿論、当時は、単純に入院したのを聞いてお見舞いに行っただけだった)行動したっていう記憶が、自分の中でハッキリと残ったから。
それは、自分が彼の為に行動した、紛れも無い事実の記憶なんだよね。
何を話したかなんてのは、覚えちゃいない。
でも、「あの時、彼と会って、時間を共有した」って事だけを、忘れなきゃ良いんだと思う。

急逝した彼は、残念な事だけど、同級生達と20年ぶりの酒を酌み交わしながら、空白の20年についてや過去の思い出を語らうっていう時間・機会を永遠に作れないんだよね。
当り前なんだけど。
そして、俺には、その時間が与えられ続けていたって事でもある。
彼の得れなかった20年を、俺は、どう使ったんだろう。
これからの時間を、どう使うんだろう。
誰の為に、使うんだろう。

でも、ありきたりな表現なんだけどさ、彼が亡くなって20年経っても、俺等は再会した時に彼を思いだして、みんなして口を揃えて「アイツは良いヤツだった。」って偲んでる。
間違いなく、彼についての記憶が残ってて、そういう形で彼は俺等の中に、刻まれてた。
それが、本当に、実感として感じれた。

たぶんそれは、(機械的な)メモリーとかの媒体じゃなくて、だんだんと薄れてあやふやになっていく儚い‘記憶’っていうものの中に残るもんだからこそ、「彼(の一部)は、俺等の中で生きている。」って言えるものであってね。
でまた、彼自身が、亡くなって20年近く経ってからも、俺等に彼の事を思い出させる生き方をしてたからこそ、なんだと思う。

俺は、たまにでも、誰かに良い思い出し方をされるような生き方をしてただろうか。
勿論、それを目的にして生きる訳じゃあない。
ただ、結果として、そう成り得るかどうかは、人としてとても大事なコトなんじゃないかって思うんだよね。上手く言えないけどさ。

俺は、最近(特に)そう感じてる。
旭川で異動の内示を貰ってから、‘生死’については別としても、‘記憶’については本当に意識するようになった。
何度も言うけど、誰かの中に良い記憶として残るのをメインの目的に据えて生きるのは、本末転倒だと思ってる。
ただ、そういう残り方が出来たかどうかは、結果としてある種の指標になるのかもしれない。
と、感じてるってことだよ。

さて、それで、だ。
だから、嬉しかったんだよね。
異動して、たかだか1年半。
でも、1年半でも、冒頭に書いた先生の記憶の中に、俺は少しだけでも残って居れた。
そして、自分にとって大事に感じた事を、分け与えようとして、普段しない特別な行動をしてくれた事に対してね。

営業マンとしてとかっていう前に、一人の人間として、とても嬉しい事だった。
来年も、生きよう。
もっともっと、(結果として)こういう気持ちになれるような、自分にとってHAPPYな選択をしていこう。
そしてそれは、自分にとって楽な選択をする事とは、言葉は似てるけど行動は真逆に近い位に違うものな筈だ。と、我想ふのでした。

より以前の記事一覧

2013年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30